光日房御書

をぼろげ(小縁)ならでは

特別のことがなければの意

いみじき

①程度が普通でないときにいう言葉。なみなみでない。非常なこと。

②誉める場合にいう言葉。すばらしい。優れている。

③大変だ。すごい。おそろしい等の意。

※ここでは②の意で使用

威音王仏の末の末法

劫は離衰、国は大城、同号の仏が2万憶いたとある。常不軽菩薩はこの最初の威音王仏の像法の末に出現し、二十四文字の法華経を弘め、一切衆生を但行礼拝したが、増上慢の四衆に迫害された。

法華経常不軽菩薩品第二十にある、

「最初の威音王如来、既已(すで)に滅度(めつど)したまいて、正法(しょうぼう)滅して、後(のち)像法の中に於いて、増上慢(ぞうじょうまん)の比丘、大勢力(だいせいりき)有り。爾(そ)の時に一(ひと)りの菩薩の比丘有り、常不軽(じょうふきょう)と名づく」とある。

この御書内において、日蓮大聖人が元意の辺から末法と述べられたのである。

なぜ威音王仏の像法を末法というかといえば、

第一に法滅の時を末法というのであり、彼の像法の末は法滅の時であった。

第二に像法といえども末法を含めての像法だからである。

第三に彼の像法の末と大聖人の末法の始めと全く同じ姿であるからである。

不軽菩薩

仏前の御起請(ごきしょう)

法華経の会座(えざ)で如来の滅後に法華経の行者を守護すると誓った諸天の誓いをいう。

仏の御前での誓い。

御起請は誓状と同意。

多宝如来(たほうにょらい)

法華経が説かれる虚空会座に宝塔に坐して出現し、「善(よ)い哉(かな)善(よ)い哉(かな)~釈迦牟尼世尊、所説の如きは、皆是れ真実なり」と証明した。

法華経見宝塔品第十一では過去東方宝浄(ほうじょう)国の仏であったが、菩薩の修行中、成道して滅度の後、いずれの地であっても法華経を説く者があればその前に塔廟(とうみょう)を湧現させて真実であることを証明しようと誓願を立てた。

多宝如来は自ら法を説くことはなく法華経説法のとき、かならず十方の国土に出現して仏の説法が真実なりと証明するのである。

以後、釈迦の説法を証明するために、宝塔の中で釈尊と並座して法華経の虚空会の儀式が行われた。

嘱累品第二十二で閉塔して、もとの霊鷲山会に戻る。ただし多宝仏は次の薬王品や妙音品にも現れるので塔の扉だけを閉じて、終末まで証明のために法華経の会座にあったとされる。

十方の諸仏

十方(じっぽう)の仏土に住する諸仏のこと。十方の仏、十方分身(じっぽうふんじん)の諸仏ともいう。

十方とは、四方四維上下の総称。

東・西・南・北の四方

北東・西南・南東・北西の四維

上・下の二方

合計で十方となる。

仏法ではこの十方のことを十方世界とも、十方法界とも、十方浄土とも、十方仏土ともいう。

この十方におのおの諸仏が住するので十方の諸仏という。

中心となる仏(本仏)が衆生教化のために、身を十方の世界に分かちあらわれた仏のこと。特に釈迦の分身として教化する仏を十方分身の釈迦という。

正直捨方便

権教方便の教えを捨て、一仏乗の教えを説く、という意味。

釈迦が四十余年間に説いてきた華厳・阿含・方等・般若等の経教は方便の教・権教であり、それらを捨てること。

法華経方便品第二に「今我喜んで畏(おそ)れ無し、諸(もろもろ)の菩薩の中に於いて、正直に方便を捨てて、但(ただ)無上道(むじょうどう)を説く」とある。

この文を釈して法華文句巻五上には「於菩薩中(おぼさつちゅう)の下の三句は、正しく実を顕はすなり、五乗は是れ曲にして直に非ず、通別は偏傍にして正に非ず、今は皆(みな)彼(かの)偏曲を捨てて但だ正直の一道を説くなり」とある。人・天・三乗に執着する心は曲であり、通教・別教は偏った教説である。故にいまは方便権教を廃して正直の法である法華経を説くのである、との意。

瞿伽利尊者(くぎゃりそんじゃ)が虚誑罪(こおうざい)

瞿伽利とは梵語コーカーリカ(Kokalika)の音写であり、悪時者、牛守などと訳す。

釈迦族の一人で、浄飯王(じょうぼんのう)の命で出家し、仏弟子となった。

のちに提婆達多を師として釈尊に反逆した。舎利弗・目連を誹謗して生きながら地獄に堕ちた、また死んで大蓮華地獄へ堕ちたともいわれている。

竜樹菩薩造と伝えられる大智度論巻十三に次のような内容がある。

「瞿伽利は常に舎利弗・目連の過失を求めていた。二人はある日、雨に値って(あって)陶師の家に雨宿りした。暗中だったので、先に女人が雨宿りしているのをしらないでいた。女人はその夜、不浄の夢をみた。翌朝、女人が身体を洗い流していた。これを見た瞿伽利は男女三人で不浄行をしたと舎利弗と目連を謗った。梵天はそうでないことをさとし、釈尊もまた三度、瞿伽利を呵責したが、受けつけなかった。瞿伽利はのちに、全身に悪瘡(あくそう)を生じ、叫喚(きょうかん)しながら死んで地獄に堕ちた」

梵天・帝釈・日月・四天

仏法において諸天善神である。

梵天とは、大梵天王のこと。三界(欲界・色界・無色界)のうち色界の初禅天(しょぜんてん)に住する三天(大梵天・梵輔天・梵衆天)の一つで、娑婆世界の主とされる。娑婆世界を統領している色界諸天王の通合である。色界初禅天の主である。つまり色界の初禅天(しょぜんてん)は、大梵天王が領しているので梵天という。

帝釈とは能天帝のこと。仏法を守護する諸天善神の一人。釈迦提桓因陀羅(しゃかだいかんいんだら)、略して釈堤桓因といもいう。インド神話上の最高神で雷神であった。須弥山に住み四天王を従えて欲界第二の忉利天(とうりてん)の主で、須弥山の頂の喜見城に住して三十三天を統領している。釈迦の修行中、種々に姿を変えてその求道心を試みたが、成道後は守護を誓った。

法華経序品では梵天・帝釈は眷属(けんぞく)2万の天子と俱(とも)に、法華経の会座(えざ) につらなり、法華経の行者の守護を誓っている。

日月は日天子と月天子のこと。日月は、宝光天子(太陽)、名月天子(月)、普光天子(星)を含めて三光天子といい、四天下(してんげ)をあまねく照らす。

四天下とは四海天下(しかいてんか)のことで、全世界、世間全てのことをいう。四天王は、帝釈天の外将をつとめる。須弥山の4面の中腹にある四王天の主で仏法を護持する4人の天王のこと。持国天・増長天・広目天・多聞天。四天とも四王とも四大天王ともいう。

持国天王 持国とは提頭頼咜(だいずらだ / だいずらた)(Dhrtarastra ドゥリタラーシュトラ)の訳。東方を守護する善神で、須弥山の第4層級に住し、乾闥婆(けんだつば)・毘舎遮(びしゃしゃ)を領している。乾闥婆(けんだつば)とは、香神・尋香等と訳す。天界の楽神で、酒肉を食わず唯香を求め、またその身から香を出すのでこの名がある。緊那羅(きんなら)と共に帝釈天の前で音楽を奏でる。

増長天王 増長は毘楼勒叉(びるろくしゃ) (Virudhaka ビルーダカ)の訳。南方を守護する善神で、須弥山の第4層級に住し、鳩槃茶(くはんだ)等の諸鬼神を領す。鳩槃茶(くはんだ)とは陰嚢(いんのう)・形卵(ぎょうらん)・甕形(ようぎょう)・冬苽(とうこ)・厭眉(おんび)と訳す。人の精気を吸い、変幻自在で動作の機敏な悪神のこと。華厳経探玄記巻二などにある。形像(ぎょうぞう)は白馬頭人身で、男は鉢を叩き、女は太鼓を打っている。

広目天王 広目は毘楼博叉(Virupakasa ヴィルーパークシャ)の訳、西方を守護する善神で、須弥山の西面中腹に住し、浄天眼によって閻浮提の衆生を観察する。竜・富単那(ふたんな)を領す。竜とは神力ある蛇形の鬼神のこと。畜生類の代表で八部衆の一人。水中に住し、天に昇って雲・雨・雷電などを自在に支配するとされる。海竜王経には、竜に金翅鳥(こんじちょう)という天敵があり、しばしばこれに捕食されると説かれる。富単那(ふたんな)とは餓鬼の1つ。臭餓鬼・熱病鬼・災恠鬼と訳す。法華経陀羅尼品第二十六にあげられる悪鬼の一つ。身は極めて臭く穢(けが)れているが、餓鬼の中では最も福の勝れた者であるという。

多聞天王 多聞(たもん)は毘沙門(Vaisravana ヴァイシュラヴァナ)の訳。北方を守護する善神で第4層級に住し、夜叉(やしゃ)・羅刹(らせつ)を領す。夜叉とは勇健・能噉鬼(のうたんき)などと訳す。本来は形貌醜怪(ぎょうぼうしゅうかい)で猛悪なインドの鬼神。仏教では、天・竜・乾闥婆(けんだっぱ)・阿修羅・迦楼羅(かるら)・緊那羅(きんなら)・摩睺羅伽(まごらが)と共に八部衆として仏法を守護する鬼神。毘沙門天の眷属として法華経の行者を守護する。仏国土においては、北方を守護することが大集経巻五十二毘沙門天王品第十四に説かれている。

天台大師の法華文句巻二下に「四大天王とは帝釈の外臣にして武将の如きなり。四の宝山に住す。高さは須弥に半ばす、広さは二十四万里なり。東の提頭頼咜(だいずらだ)、此には持国と云い、亦(また)安民と言う。黄金山に居して二鬼を領す・・・。南は毘留勒叉(びるろしゃ)、此には増長と云う。亦は免離と云う。琉璃山に居して二鬼を領す・・・。西は毘留博叉(びるはくしゃ)、此には非好報と云い、亦悪眼と云い亦雑語と云う。白銀山に居して二鬼を領す・・・。北は毘沙門にして、此には種々門と云い、又は多聞と云う。水精山に居して二鬼を領す・・・各々二鬼を領し人を悩まさしめず、故に護世と称す」とある。

法華経序品第一で眷属万の天子と共に列なり、陀羅尼品(だらにほん)第二十六では法華経の行者の擁護を誓っている。

天照太神

諸天善神の一人。日本神話の神。「あまてらすおおみかみ」ともいい、大日孁貴(おおひるめむち)といい、日神(ひのかみ)といわれる。

日本書記・古事記などでは主神であり、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)の二神の第一の御子(みこ)で大日孁貴(おおひるめむち)といい、日神(ひのかみ)といわれる。大和朝廷、日本民族の祖先神として高天原(たかまがはら)の主神といわれ、国土の安全を護る国主ともいうべき立場の神をいう。弟の素戔嗚尊(すさのおのみこと)の乱暴を怒って天の岩屋戸(あまのいわやど)に隠れたという有名な話がある。

悪道

過去世及び現世で正法非業・五逆罪等の罪で犯した衆生が受ける苦しみの世界とその状態のこと。悪趣ともいう。悪行によって趣く苦しみの世界をいう。十界の中の六道のうちの地獄、餓鬼、畜生を三悪道といい、修羅を加えて四悪道。四悪趣という。

竹林精舎の金鳥(ちくりんしょうじゃのこんちょう)

竹林精舎はインド五精舎の一つ。中インド・マカダ国の都である王舎城の北郊に迦蘭陀(からんだ)長者が所有する竹園があった。迦蘭陀(からんだ)長者は釈尊に帰依し、この竹園を釈尊に奉じて精舎を建てた。金鳥とは雉のこと。金色の羽があるため金鳥という。

インド拘尸那(くしな)城の近くの森林に野火が起こったとき、一羽の雉が羽を清流に浸して、その火を消し自分の生命を賭して森林の中の眷属を救ったとある。

王陵が母

前漢の沛(はい)の人。王陵(ー 前177年)県の豪族出身で、漢の高祖に従って項羽(こうう)と戦い劉邦を天下に導いた。項羽は王陵の母を捕らえて母子の情に訴えて王陵を味方にしようとしたが、母は密かに使者を出して、王陵に漢王への忠節を尽くすことを訴え自害した。その後に、王陵は高官に昇進し安国侯に封ぜられ右丞相(うじょうしょう)となった。

神堯皇帝の后(しんぎょうこうていのきさき

唐の高祖李淵(りえん)(565年ー635年)のこと。その皇后を竇(とう)皇后という。京兆・始平(陜西省興平県)の生まれ。諡(おくりな)は太穆順聖(たいぼくじゅんせい)皇后。才色兼備で、文と画に巧であったといわれる。

懴悔(さんげ)

犯した罪悪を悔いて許しを請うこと。

仏・菩薩・師長・衆人等に対して開き述べ許しを請うこと。

懴とは犯した罪悪の許しを請うこと。懴摩(さんま)で(Ksama クシャマ)の音写。

悔は後悔すること。

後に懴も悔も同意として懴は懴摩(さんま)(クシャマ)の音訳で、悔は懴摩(さんま)の意訳とある。

原始仏教では布薩という集会が定期的に開かれ、戒を破ったものは大衆と僧との前で懴悔する(衆僧懴悔)という形をとり、単に損害を与えた相手に詫びるという代償的な意味ではなく、全身全霊で心の浄化を図るものとされた。

仏説観普賢菩薩行法経に「一切の業障海(ごうしょうかい)は、皆(みな)妄想(もうそう)より生ず、若し懴悔せんと欲せば(ほっせば)、端座(たんざ)して実相(じっそう)を思え、衆罪(しゅざい)は霜露(そうろ)の如し、慧日(えにち)能(よ)く消除(しょうじょ)す」とある。

罪を犯す原因は、己れの無知、妄想からくるものであるから、諸法実相を悟って智慧を顕現(仏の常住を覚知)すれば懴悔する(大荘厳懴悔)ことになる。

大逆

はなはだしく、人の守るべき道理に背いた行為、理に逆らう極悪の大罪の意。

父母を殺す類い(五逆罪)の大きな逆罪。

粟をつみたりし比丘

法華文句記巻二等にある。仏弟子の憍梵波提(きょうぼんはだい)は、過去世に粟を盗み、その罪によって五百生の間、牛と生まれ、今仏弟子となってもなおその余習が消えず牛のような習性をもっているとある。

善智識

人を導いて仏道に入らせる人のこと。悪知識に対する語。

三毒

善根を毒する煩悩のことで貪(とん)・瞋(じん)・癡(ち)の三種をいう。

①貪とはむさぼり  貪欲、貪愛のこと。

瞋とはいかり  瞋恚(しんに)自分の心にかなわないものに対し怒りうらむこと。

癡とはおろか  ものの道理に暗く、的確な判断が下せず迷う心的作用をいう。

この三種の煩悩は一切の煩悩のなかの最も根本であり、一切の煩悩を摂し、衆生の身心を今世・後世にわたって、毒するので毒と名づける。この三毒が充満した時には、故人のみならず、飢渇(けかち)、疫病(えきびょう)、兵革(ひょうかく)の小の三災の原因となり、一国をも不幸にするのである。

十悪

十悪業(道)、十不善業(道)ともいう。十善に対する語。

身口意の三悪業のうち最も甚だしい十種の罪悪をいう。

身に行う三悪として 殺生(せっしょう)、偸盗(ちゅうとう)、邪婬(じゃいん)。

口の四悪として 妄語、綺語(きご/事実にそむいて巧に言葉を飾り立てる)、悪口(あっく)、両舌(りょうぜつ/二枚舌をつかう)。

心の三悪として 貪欲、瞋恚(しんに)、愚痴。

十悪の果報としては華厳経巻三十五に「十不善業道の上なる者は地獄の因、中なる者は畜生の因、下なる者は餓鬼の因なり」とある。

世間出世

世間と出世間のこと。

世間とは①地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天の六道をめぐり、煩悩にとらわれる衆生の世界

②三種の世間 五陰(ごおん)世間、衆生世間、国土世間。

③器世間 等

出世間は世間を超越する世界のこと。

①煩悩にとらわれず、三界六道を離れた境界の衆生の世界。

②仏の世界、即ち仏法の世界。

摩竭提(まかだ)

マカダ国。古代、中インドの国名で仏法に最も縁が深く、仏法を尊敬した国、仏法の史跡も多く伽耶城(がやじょう)・王舎城(おうしゃじょう)・竹林精舎(ちくりんしょうじゃ)等がある。釈尊在世は頻婆娑羅王(びんばしゃらおう)や阿闍世王(あじゃせおう)が国王であった。

天変

自然界の変動により、天空に起こる異変、暴風、雷、日食、月食等をいう。

地夭(ちよう)

自然界の変動によって起こる地上の変災のことで地震、火難(噴火)、水難(洪水)等をいう。

疫癘(えきれい)

疫病と同じ。流行病、伝染病のこと。

悪人

①悪事をなす人。悪い心を持つ人。

②正法を誹謗する者。五逆罪等の悪業を犯す人。

③十悪等の悪業を重ねる人。

けさん

会うこと。対面すること。

をこづき

からかう。ばかにする。嘲笑する。悪口をいう。